@kentaro_jpです。
昨今、崩壊状況にある学校も少なくない。
いじめ、不登校、体罰。
ここ10年で子供たちは大きく変わった。
子供たちの変化とはいったい何なのか?
その原因は?
そんな子供たちに自分たちが出来る事は?
1月26日、埼玉県鴻巣市 ひかり幼稚園にて、神戸大学名誉教授 広木克行先生による
「子供のためって何?」と題された講演会で学んできたので、出来るだけわかりやすくご紹介します。
1、子供たちの変化とは環境の変化の現れである。
2、子供たちのシグナル、逆の落差、自分とのコミュニケーション。
3、国連から日本政府への勧告。ヨーロッパと日本の教育の違い。
4、教育が変えられないなら何をすべきか。子供に必要な3つの育ち。
1、子供たちの変化とは環境、社会変化の現れである。
ここ10年で社会、環境は大きく変わった。
10年と言うと僕が高校卒業してから現在に至までの社会人生活とほぼ時期が合う。
育児はしていたが、教育とは離れていたこの期間、子供達は大きくかわってしまったらしい。
現代社会は非常に子育てがしづらい状況である。何故なのか。
情報の洪水を浴びる子供達
普段生きているだけでとんでもない量の情報があふれている。
何を選ぶか。どうすればよいのか。何が正しくて何が間違っているのか。子供たちは自然と取捨選択して生きていかなければならない。
体罰と虐待が日常化している。
この平成の世の中でも、未だに大日本帝国の名残があるかのように、体罰、脅しの方法による指導が続いる。
特に政治家には体罰推進派も多い。何故なのか。
肉体的、精神的な攻撃。
体罰を家庭では虐待と言う。
虐待とは、親の苛立ちの爆発。子供の話に耳を向けない。
躾とは、子供の話を聞き、子供に善悪を教える。
子供の話を聞いても返ってくる答えは屁理屈が多い。でも話を聞いたうえで、それは許せないと伝える。それが躾だ。親は感情で子供に接していない。それが躾だ。
体罰がだめとなると、教育現場ではどのように子供達にいうことを聞かせるか。
「脅し」が頻繁に使われている。
「地獄」という絵本が7万部も売れている。
幼稚園、小学校低学年のサンタクロースを信じているような子供たちに地獄の絵本を読み聞かせる。子供たちはだんだん下を向いて顔をあげなくなる。
読み終わったあと、子供たちはおびえながら、嘘つくのやめような、ごはん残さないで食べよう。と、
非常に扱いやすい子供が出来上がる。
子供には心に深い傷を負うが、大人は楽だから、大人の都合に良い、いい子になるため、劇薬として使われる。
確かに、悪い事をすると大変な目に合う恐ろしい事を教えるのは良い事かもしれない。
しかし、そのあとには必ずフォローが必要である。
そこを理解して使っているのかで、毒にも薬にもなる。ということだろう。
昔からあった地獄絵ではあるが、使用する大人の倫理感が無いとただ子供を傷つけるだけにはならないだろうか。
2、子供たちのシグナル、逆の落差、自分とのコミュニケーション。
僕らが子供時代には聞いたこともない症状を訴える子供が増えてきている。
変化1 多動、パニック。
こんな話がある。
授業中、テストで二番になった子供がいきなり喚き散らしながら廊下に走って行った。窓から飛び降りようとして、「死んでやる」と叫んだ。
パニックになった子供に真剣に先生が「私はあなたの事が大事だから死んで欲しくない。何があったの?」と聞くと涙を流しながらこんな事を言われたという。
「一番にならなきゃうちの子じゃないって言われた。一番じゃない僕なんかいなくても良いんだ。」と。
一番にこだわる、○×にこだわる。間違いにこだわる。勝ち負けの教育が多い。
自分が何が好きで、何がしたくて、何に興味があって、ということもわからない年齢から、勝ち負けがすべてという事しか知らなかったら、
もし負けた時にどうしてよいかわからなくなり、子供はパニックになる。
多動、パニック。これらの行動を子供が起こした時、最近よくこの名前で呼ばれる事が非常に多い。
AD/HD 発達障害と。
多動、パニックは子供のシグナルであり、追い詰められた時、辛い時に症状が出るのはむしろ正常。何も感じないのが一番危険。
この症状が出たとき、病名を付けてその子のことを解かったつもりになることを、「診断主義」という。
家庭環境が問題で子供がパニックになっているのに、障害と決めつけてしまえば子供自身を見ずに、表面の勝手につけた病名を見ることになる。
どうすれば治るのか。だからこの子はパニックになるんだ。と。
根本的な解決にならないのは明白である。
子供は添い寝、抱っこ、肌と肌で触れ合うスキンシップによる安心感で脳が発達していくという研究がなされている。
発達障害ではない子供は環境の改善をすれば、しばらくすると症状は出てこなくなる。
生まれ持った発達障害はどんなに愛情を注いでも一年で症状は消えない。
世の中を大きく前進させた天才=発達障害の子供達。
この世の中を大きく飛躍させた歴史上の人物。科学であり、芸術であり、音楽であり、そう、コンピューターであり、
歴史を変えた人物はそのときは言葉すら存在していなかったのですが、今でいう発達障害であった。
発達障害の子は、いろんな苦手な事がある。平均的な能力ではないからである。
その代り、凡人には比較にならない様な特化した能力がある。
以前から障害と言わず、個性として捉えていた。
親は考えた。この子は苦手な事も多い、人と関わるのも苦手、毎日同じ服しか着無い。でも、何か光るものを持っている。
この子を尊重し、得意な事を伸ばす。
出来ない事を直すのではなく、どうしたら子供と向き合えるかを考えた。
親は向き合っていくうちに子供の優れているところを見つける。
親に優れた分野を見つけてもらい、後押しされた子供はその分野で伸びていく。世の中を変えるコンピューターを作り、プログラマーになり、
アーティストになり。普通の人には出来ない事を成し遂げていく。
天はニ物を与えない。
こんなことわざが昔から存在していた。
誰だって振り幅はある。それを厄介者と捉えるか。個性と捉えるか。
僕だって、イケメンでドラムがうまくて(←)、可愛い奥さんと可愛い子供が3人も居るが、吃音である。人前で決められた言葉を話すのが苦手。
電話も苦手。相手の顔が分かり、緊張しなければ話せるが、基本知らない場所に電話をするのには非常に勇気が要る。失敗が怖い。
19歳の入社の際、現場巡回をしながら、電話の位置をチェックしていた。電話を発明した人を恨んだ事もある。
携帯電話にすぐに飛びついたのは、相手の名前が出る事を知っていたから。メールも使える。
おかげでコミュニケーションが随分楽になった。
誰にでも得意、不得意はある。
変化2 過剰接触。同級生への暴力。逆の落差。
学校にて先生にべったりくっついて甘えたり、同級生に暴力を振う子供がいる。
その代わり、家庭ではとても良い子で全く手のかからない子供だという。
人は社会に出ている時、目はパッチリ見開き、かっこよくドラム叩き、仕事中は年上に対しても偉そうに自分の論を伝え、社交的な場で名刺をキリッと差し出し、「憲.comです!よろしくお願いします!」と少しかしこまる。
でも、一度家庭に戻れば、可愛い奥さんの元で甘えたり、ビール飲みながらブログ書いたりと、甘えたり、リラックスしている。
これが逆になっている事を「逆の落差」と先生は呼んでいる。
家ではリラックス出来ずに良い子を演じ、社会、学校に出たときに先生に甘えて離れない。
一人や二人ではなんとかなるかもしれないが、逆の落差な子供が一クラスに何人もいると授業は全く成り立たなくなる。
学校では迷惑をかけているが家庭では「いわゆる良い子」で有るため、親は気付かない。そんなことありません!と否定するため、
ますます子供は親に甘えられなくなり悪循環に陥る。
家も社会も緊張しっぱなしだと人間はおかしくなる。
ましてや心と体が育つ時期に安住の場所が家ではない子供は辛い。
この背景には、現代の核家族社会が大きな原因となっている。
親一人の負担が大きすぎる。
以前は子供一人に対しての大人の数が多かった為、お母さんの負担はその分少なかった。
いまは違う家庭が多い。100%子供を受け止める親も多い。
そうなると、いかに自分の負担を減らす為に子供を良い子、手のかからない子にするのかと考えるのも不思議ではない。無意識のうちにそうなってしまうのもわかる。
変化3 大学の不登校
周知の通り大学は義務教育では無い。にも関わらず不登校な学生が増えている。
義務教育では無いのだから、行きたくないのであれば辞めてしまえば良い。しかしそうでは無かった。
大学には行きたい。しかし行けない。人とうまく付き合えない。他人が怖い。と訴えている。
そこで政府はSSTというトレーニングを実施した。効果は期待できない。
ここでは根本的な原因が違うからだ。
他人とうまく付き合えないのは、自分自身ともうまく付き合えないからである。
それは、自己内対話が出来ずに成長してしまったからである。
自分とコミュニケーションが取れない。
人間だれしもある、「やりたい事」と「やるべき事」の鬩ぎ合い。
こんな経験はないだろうか。
思いっきり遊んでいるけど、ごはんの時間。遊びを続けたい。でも夕飯に行かないと下げられてしまう。お母さんに怒られる。
遊びたい。でもごはんも食べないといけない。
やりたい事とやるべき事の鬩ぎ合い。
この自己内対話をして、自分自身とうまく付き合う方法を子供は学んでいく。自身を知る。
小さいころから親の言いなり。良い子になる為には自分のやりたい事をやるなんて考えが育たない。
言われたことは卒なく上手に出来るけれど、自由な時間は何をしてよいかわからない。
地域にもよるが、公園で見る光景。
小さい子が遊具で遊んでいる。見るとお母さんがぴったりくっついていて、「次滑り台よ」「はい滑れた。次はあれに乗って」
「次はあれやって。すごーい良くできたね。」「次はこっちって言ってるでしょ?」のように、親が子にすべ指示をしている光景。
親は言う通りに出来た我が子を褒め称え、満足している。子供はとっても扱い易い良い子になっている。
傍から見るとお母さんのいうことをキチンと聞く良い子である。
まるでロボットみたいに。
社会に出ようとする大学時代。自分の事をよくわかっていないまま大きくなった子供はどうしてよいかわからない。
いままで自分の意思で物事を決めていない。自分が何をしたいかという気持ちが育っていない。
採用情報の例。
1300人大卒採用。内、1100人は海外の学生。内、200人は日本の学生を採用する。ただし、200人は日本人とは限らない。日本に住んでいる
海外から来た学生の場合も有り。
企業のコメント
日本の学生は人間力に乏しい。よって採用枠が少ない。とのこと。はっきり言われている。
自分の力で物事を進める力が無いのである。
子供の変化とは?
1、多動、パニック
2、過剰接触、暴力
3、自分とのコミュニケーションが取れない。
3、国連から政府への勧告。ヨーロッパと日本の教育の違い。
All sizes | Warning Sign “Children” – Romanian standard shape | Flickr – Photo Sharing!
国連による日本政府への勧告がある。ざっくり言います。
日本の子供は情緒的な幸せを感じていない。親と子、先生と子の関係の貧しさが原因である。
日本は何故、家族の絆、繋がりが大切だとわかっていながらも、企業が親子関係の荒廃を進めている事に政府が何もしていないのか。
非常に遺憾である。
日本の教育は、競争主義が問題である。
参考→「国連・子どもの権利委員会」から日本政府への勧告のポイント
ヨーロッパではEUを挙げて教育の改善に取り組んでいる。
家庭は子供が社会性を身に着ける大切な場所であると認識している為、
19時まで働いて、20時にはお店は全て閉まり、皆家庭に戻る。街は暗くなる。
休日、日曜日はさらに顕著で、どこのお店も開いていない。
朝、協会に行き、一日中家族の団欒の時間である。
子供は親、家族、兄弟との日常から学び、育っていく。
僕の大好きなフィンランドでは
残業を法律で規制。残業をすると上司が処罰させられる。
残業をさせた場合は、その人でしか出来ない仕事と、証明しなければならない。
法律で家庭の団欒を守っている。
世界一の学力。フィンランド
80年代初頭まで、現在の日本と同じく、不登校、いじめの問題を抱えていた。(なんと30年前の話)
教育は行政が決めずに、専門家にゆだねられた。
小学校のテストでは点数を付けるのを禁止。
テストを実施する理由は何ができて、何ができないかの判断。
教材の良し悪しの判断を教師が知る為に実施した。
テストで子供の点数、順位を付ける事を禁止したのである。
小学校のクラスは大体20人。法律では25人以下に定められている。
小学校4年生で、日本の小学校2年程度の算数をやる。
最初の数年はゆっくりじっくり教える。
そんな中、子供たちは何に気付くか。
「僕、算数が好きかもしれない。」子供は目を輝かせて自分の好きな事、興味のある事に気づく。
自分が何が好きで、何に興味があるか気づく心が育つのである。
自分で自分の得意に気付いた子供はそのあと急激に難しくなる授業内容もものともしない。
好きだから。得意だからと、自身を持って取り組む。
出来ると思ってやったことと、出来ないと思ってやったことで、大きな差があることは誰しも経験がある。
そんな気持ちが、今の競争主義の教育で果たして生まれるのか。
4、教育が変えられないなら何をすべきか。子供に必要な3つの育ち。
フィンランドで教育の改善が行われたのが30年前から、と聴いて僕は非常にがっかりした。
日本は30年間何をやってきたのか。
幾ら嘆いても教育システムは簡単に変えられない。
では、僕たち親は子供のために何をするべきなのか?
教育とは。
大変わかりやすい図を用意した。
教育という字を縦に書いてみる。
教が上に。育が下にある。
育は8歳までがベース。ここでしっかり育つ。3つの育ちに付いては後述する。
教はそこから。しっかりとした土台が出来てこそ教えられる。
それが、育が小さいとどうなるか。
育ちが小さいので教えられる事も小さい。
これが育ってない子供に教育を詰め込んでいるわかりやすい図と言える。
子供に必要な3つの育ち。
体力の育ち
これは最重要事項。
人の話を聴く為には背中の筋肉、いわゆる背筋が必要になってくる。
背筋が育っていないと、重たい頭を支える事が出来ない。頭を支える事が出来ないと集中力が切れてくる。そうすると話を聴くどころではない。
眠たくなるからだ。
眠たくなると、あくびをして目を覚まそうとする。でもあくびをすると怒られる。
眠らない為にあくびでは無く手を動かす。足を動かす。
既に授業を聴くためでは無く、眠らない為に全身を使って行動している。
幼児時代から体を使ってたっぷり遊ぶ。子供の体はアンバランスだ。比率からすると頭は重い。そのアンバランスな体を伸ばしたり縮めたりしながら子供は思いっきり遊ぶ。
背中の筋肉を中心に、子供の体はどんどん鍛えられて行く。
体力の育ちが最重要。
心の育ち
心の育ちには3方向の関係を育てる必要がある。
•縦の関係は親子関係。
•横の関係は友達、兄弟関係。ここで同じ立場でのじゃれ合い、ケンカ、協力、遊びを通して心が育つ。
ここに縦の関係を持ち込むと、遊びが成立しなくなる。大人は基本的に口を出さない。
大人が口を出すと横の関係が成立しなくなる為。
最後に、•斜めの関係は親戚や近所のおじさん、おばさん。
ここで自分の理想像を形成する。
いくら親が好きでも、理想にはなり得ないのが事実。親子関係は近いので憧れの対象にはならない。
子供は何に対して憧れを持つか。近所の方や親戚にぼんやりとした憧れを持つ。
いつも優しくしてくれるおばさん、町内の集まりでハキハキと話すおじさん、幼稚園のお迎えに来てくれるお友達のお母さん。幼稚園の夏祭りでドラムを叩く知らないおじさん。
昨今の生活環境では、この斜めの関係が非常に弱くなっていると感じる。
近所付き合いが皆無。地域との繋がりが少ない。地方から都会に出て来ているため親戚に会うのは年に一回あるか無いか。
子供は何処に自分の理想像を見つけるのか。
親は、自分も少なからず他の子供の憧れの対象であると少し意識して欲しい。そして、関わりを大事にして欲しいと思う。
自我の育ち
自分の好きな事、したい事とすべき事の関係。己の自己を見つける。
自分とのコミュニケーションを沢山して自分の好きな事、やりたい事を見つける。
おわりに
鴻巣市ひかり幼稚園の園庭にて
とても濃く、あっと言う間の3時間だった。
今まで教育方針というと、人それぞれ考え方が違うので、正解は子供が育ってみないとわからない。そう思っていた。
しかし、今回の講演内容は、国連から日本政府への勧告と教育学に基づく事実であった為、大変説得力があった。
子育ては今しか出来ない。人生のうち子育て期間は大変短いものと思う。
今回の講演をきっかけに早い段階で気づく事が出来て良かった。
日本では、政府が勧告を受けているにも関わらず、直さなければならない教育、企業、環境が山積みになっている事を世間はまだまだ認知していない。
何故何も変わらないのか良くわからないが、教育が変えられないのなら、学校に行くまでの育ちの期間を親がどうにかするべきなのではないのか。
今しか出来ない事をやろう。
子供の未来を守る為に。
そしてもっと勉強して、発信していきたい。
講演後、お疲れのところ僕の話を聴いて下さった 広木克行先生。ありがとうございました。
今思えば、名誉教授に「レポート書きます!」と宣うなんて自分でも思い切ったなと思います。
つたない文章ですが、読んで頂けると幸いです。
広木克行先生プロフィール
1945年樺太生まれ。
東京都立大学卒業。東京大学大学院博士課程修了(教育行政学専攻)。
長崎総合科学大学教授、神戸大学教授を経て、
現在は千代田短期大学教授、神戸大学名誉教授。
「親と教職員のつどい」「教育を考える会」「登校拒否を考える親の会」
に携わり、現在の教育問題に真正面から取り組む。
主な著書「子どもが教えてくれたこと」「人が育つ条件」「学びあって子育て」
「保育に愛と科学を-親と保護者に贈る言葉」「21世紀を生きる君へ-心の時代」等。