はしもとんの覚え書き

311を振り返る

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その日は夜勤に備え、家で寝ていた。

引っ越しをしまだ10日ほどしか経っていなかった。

いまは大きい子どもたちもまだみんな幼稚園生。

上の子は幼稚園を早退していたようで、家族全員揃ってお昼寝。
昼間だけど家族全員寝ているという状況。

場所は埼玉。でもとんでもなく大きい地震が来た。

新築のハズの家は「ミシッ」という音が鳴った。

最初はわけがわからなかったが、Twitterで東北で前代未聞の地震が起こったことは理解できた。

ほどなく停電が起きた。

しかも暗くなっても復旧しない。

こんなことは初めてだった。そして初めてモバイルバッテリーが役に立った。

電話も通じる状態ではなかったし、暗闇でおびえている家族を残すわけにはいかない。

夜勤は当たり前のように行かなかった。

次の日朝会社から電話があり、会社に行ったらこれからの対策の話しがあった。

僕たちの働いている製造第二課は5、7階にあったため、「壊滅」。復旧に1ヶ月以上かかり、
ボクのホームスペースである7Fに至っては「立入禁止区域」に設定されていた。

ショックだった。いつもいた場所に入れない。禁止。

禁止って言葉がこれほど絶望的なものなのかと。

ガソリンスタンドが激混みしたり、仕事は永遠に掃除や片付けをしたりと、イレギュラーなことが続いた。

程度の差はあれど、これも被災なんだ。と納得した。

震災後初出勤のときに上の人から言われた言葉が頭から離れない。

「会社に連絡がつかないときは、とりあえず会社に来て指示を仰ぐもんだ」

ぼくはこの時をキッカケに、場所に囚われない生き方を決めたのかもしれない。

ものくろさんの記事を読んで書きました。ありがとう。
311を振り返る – ものくろぼっくす

この記事を書いた人

office Tim33代表。クラウドファンディングプロデューサー / 取材・ガジェットライター / 写真家 / 講師 / メタルドラマー
ペットボトル工場オペレーター→ライターに転職。今どちらも歴11年。
生まれも育ちも札幌で実家が沖縄の埼玉人。スペインとフィリピン、長野、広島、沖縄にルーツがあります。
CAMPFIRE公式キュレーター、とちぎファンズサポーター
趣味は格闘技観戦とラーメン巡り、調べること。
詳しいプロフィールはこちらからどうぞ→プロフィール

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