その日は夜勤に備え、家で寝ていた。
引っ越しをしまだ10日ほどしか経っていなかった。
いまは大きい子どもたちもまだみんな幼稚園生。
上の子は幼稚園を早退していたようで、家族全員揃ってお昼寝。
昼間だけど家族全員寝ているという状況。
場所は埼玉。でもとんでもなく大きい地震が来た。
新築のハズの家は「ミシッ」という音が鳴った。
最初はわけがわからなかったが、Twitterで東北で前代未聞の地震が起こったことは理解できた。
ほどなく停電が起きた。
しかも暗くなっても復旧しない。
こんなことは初めてだった。そして初めてモバイルバッテリーが役に立った。
電話も通じる状態ではなかったし、暗闇でおびえている家族を残すわけにはいかない。
夜勤は当たり前のように行かなかった。
次の日朝会社から電話があり、会社に行ったらこれからの対策の話しがあった。
僕たちの働いている製造第二課は5、7階にあったため、「壊滅」。復旧に1ヶ月以上かかり、
ボクのホームスペースである7Fに至っては「立入禁止区域」に設定されていた。
ショックだった。いつもいた場所に入れない。禁止。
禁止って言葉がこれほど絶望的なものなのかと。
ガソリンスタンドが激混みしたり、仕事は永遠に掃除や片付けをしたりと、イレギュラーなことが続いた。
程度の差はあれど、これも被災なんだ。と納得した。
震災後初出勤のときに上の人から言われた言葉が頭から離れない。
「会社に連絡がつかないときは、とりあえず会社に来て指示を仰ぐもんだ」
ぼくはこの時をキッカケに、場所に囚われない生き方を決めたのかもしれない。
ものくろさんの記事を読んで書きました。ありがとう。
→311を振り返る – ものくろぼっくす