8月6日、沖縄滞在最終日。那覇空港にて一つ年上のお兄様と。
英語が話せないけど海外に強い憧れをもつ僕に、フィリピン出身の兄が出来ました。
とても嬉しかったです。
コンプレックスと憧れの関係
僕の母親はフィリピン人と沖縄人のハーフ。僕はその子供なのでクォーターにあたる。
大人になった今でこそ気にする人も多くないが、小学校からの多感な時期はこのオリエンタルな顔をちゃかす人も多かった。
色も黒かったしはっきりした顔だち。札幌では特に珍しかったのかと思う。
沖縄は国際都市なので目立たないけど、(母親は目立ってたらしいが)札幌の町外れで育った僕の環境では特別目立つ感じだった。
アメリカ人だの、黒人だの、ボキャブラリーが少ない子供の言葉ではそれが精一杯なのかな。中学校卒業するころまでは結構言われていたような気がする。
僕はいまでも社交的な人見知りだけど、海外の方にたいしては言葉が通じないのも相まって、よけいに壁を勝手に感じているようだ。
理由は良くわからないし、地球の同じ人間なので壁なんか作る必要が無い。人類皆兄弟って思ってるのになぜか避けてしまう自分。
よほど自分が外人呼ばわりされていたのが嫌だったのか。
それでも強い外への憧れ
幼少から外人呼ばわりされ、言葉が通じる外国の方も無意識に少し避けてしまう自分だけど、海外、英語への憧れ、興味はとても大きい。不思議。
音楽はほぼ洋楽しか聴かないし、今一番行きたい国はフィンランドとスペインだ。
海外出張の話が来れば喜んで行くでしょう。
最近知ったが、フィリピン人の祖父はスペインとのハーフだったとの事。なるほど。血が騒ぐ訳だわ。
自ら行動に移さないけれど、英語に対する憧れというか感じ方は違うみたい。
自分でも良くないけど、避けて来たけど思いは強い?的な?••わからん。。
多分自分の血がそうさせてるのかなとか。
さんざん外人呼ばわりされて来たから、グローバルな人間になってやる。とか。
でもコンプレックスというのは不思議なもので、なかなか一歩を踏み出せない。
僕は、俺は、なんて弱虫で逃げ腰なんだろう。。。。
国と言葉の壁を壊す時が来た。
そんな事も言ってられない状況がついに来た。
不安半分。楽しみ半分。何年か前の僕だったらビビってたかもしれない。
お姉様が結婚したあいてはフィリピンの旦那様。国際結婚!!!
2010年12月に結婚。
やっとビザが降りて旦那様は先月26日、生まれて初めての日本、沖縄に降り立った。
そう。もう僕は逃げられない。コンプレックスだの、外人呼ばわりされていただの、言葉が通じないだの、そんなものは無い。
29年のトラウマ、コンプレックスと別れを告げるチャンス。kentaro_jpと名前を付けたのは完全にグローバルを意識しての事。わかってんの?
本当にお姉様の旦那がフィリピンの人で良かった。日本人相手に出来ないコミニュケーション、スキンシップが恥ずかしがらずに出来るじゃないか。
しかも相手はたった一人で見知らぬ外国に来ている。寂しくないはずがない。
俺なら泣いている。ここは俺の都合とか精神論とか全部ぶん投げて、全力で歓迎するんだ。
新しい自分と家族、兄弟を迎え入れるんだ。
8月2日那覇空港に到着。
到着ロビーにはお姉様と旦那様の姿が!!
撮影•姉
思わず兄となった旦那様を抱きかかえてました。
お互い緊張議気味だけどハイチーズ!!
出会って一分くらいの間ですけど。。。
ちゃんと言いましたよ。
「welcome to japan!!」ってね。
言葉も意思も伝える気があれば通じた。
滞在期間は5日だったけど、話が出来ました。
子供達は1日目でなついて容赦なく日本語で話しかけまくり。一緒に遊んでました。
まだ旦那様は日本語で出来ないけど、お姉様とお母様は英語がはなせるので不自由がない感じでした。良かった。
単語でも通じるのね。あえて勉強していかなくて正解。
知ってるフレーズしかはなせないのではつまらないもんね。
昔、今は亡きお父様にこんな事を聴いた事があるのね。
遥か昔、英語の辞書なんか無かった時、いわゆる外国の方とのファーストコンタクトを取った時、どうやって英語を勉強したの?どうやって覚えたの?」と。
そしたらこんな答えが。
「生きる為に、食べる為に言葉、意思を伝えなきゃいけないでしょ?その気になれば言葉を理解しようとするから覚えられるんだよ。」と。
たしかに。
英語が出来る人は、頭の中で日本語に訳したりしないで、意味を理解すると言います。たしかにその通りだと思う。勉強せずに実際に話してれば使えるようになるのかな。
そう考えると今の日本ではいくら学校で英語を教えても意味が無いような気がしますね。
だって使う場所が無いんだもんね。鎖国し過ぎ。
あっというまの5日間で帰って来てしまった。
そんなに英語が話したければスカイプすれば!!と言われそうだが、、、実際会って話すのが一番なんだよなとか甘えつつ。
初めての男兄弟が出来た感動から、空港でお別れの時、沖縄から帰るときでは初の泣きそうになってしまった(;´༎ຶД༎ຶ`)いつもはカミさんとお母様とお姉様だけ泣いているのに。。。。。
それくらい初めての兄様の存在って大きいのかな。
前回の帰省から3年も経ってしまっていたので、もっと頻繁に沖縄に帰って愛すべき家族とコミュニケーションを取らなければならないな。と強く感じました。
左、姉、中、兄、右、お母様
なんかまとまりないけど終わり!!みんな愛してる!!!