【地球資源論】地球にとって最良の「配置」と「役割」を追求する考え方

photo of outer space

おはもとん!!違います、新興宗教の話ではないです。メタ認知の話しです。

皆さんは、自分にはなにが向いているんだろう?とか、力を発揮できる場所はないかな?とか考えたことが一度はありますよね。無いって人は多分この文章を読んでないと思うので、多分考えた事あるはず。

また、転職・就職にあたって適性テストを受けてみたり、MBTIで何タイプかを調べて自分はコレが強みなんだ!ってカテゴライズしてみたり。ちなみに僕は論理学者 (INTP-A)でした。納得?か?

と、「適性」とか「強みが活きる場所」を探している方々が一定数いるってのは紛れもない事実です。

そこで、もうちょっと俯瞰して自分のことを客観視するのが『地球資源論』です。

地球資源論とは?

地球資源論とは
自分自身を地球の資源の一部として考えることで、「一番地球が喜ぶ役割」「一番地球が喜ぶ配置」を考える

的な考え方です。

ChatGPTに作ってもらった。たぬもとんが髪型再現しすぎて辛いw

我々人間は、地球の一部であることは間違いないです。地球から生まれているし。

で、地球が喜ぶということは地球にとって最適解である。とも言い換えられます。

地球にとって最適解というのは、

  • 地域
  • 業界
  • 関わる人
  • 時代
  • なによりあなた自身

これらすべてが喜ぶということです。

理想論だ!とか、だれかが我慢しないと!って声が飛んで来そうですが、現時点のbetterを探す努力はしてもいいんじゃないの?って思っています。

最大最強のベストは見つからない!と考えてしまうと、人は大概の場合自己犠牲に走りがちです。

「……フッ、僕はキッツいけれど、会社や顧客が喜んでいるから、これしきの精神と体力の削れ、なんともないさ……」的な。

それか、私利私欲のためにリテラシーの低い客を掴まえてめっちゃ儲けるとかね(敢えて嫌いな表現の儲けると言ってます)

でも、この2例って地球的にあんまり良くないじゃないですか。誰かが我慢している、誰かが傷付いているって、地球が痛がってるんですよね。地球かわいそう。

そして、我々が力を発揮できる分野、配置のことを僕は「適所」と呼んでいます。適材適所の適所です。材って我々のことね。

逃げではない、可能性を追求する考え方

僕は昭和後期生まれなので、根性!適正とかじゃなくて気合!乗り越えた先に成功がある!
的な教えをされたかされてないか微妙なラインなのですが、ってことはみんな根性があれば一定以上の成功とか成果を得られるってことじゃないですか。

全然そんなことないのは、今の世の中を見ても明らかですし、僕はまだ若干43歳のクソガキですが見たところそんなことなさそう。ていうか、根性とか気合で一定以上の成功を掴んでいるのは実際一握りかなって思います。

なので、自分の適正と配置を追求することは、根性論から逃げているわけではなく、ただ最適化したいってことなんですよね。逃げじゃない。逃げてない!!僕は逃げたわけじゃないんです!!!

取り乱しました。

適所は常に移り変わる

また適所は時代によっても変わると思っております。

昭和、平成、令和。今はネットの時代になり世の中の流れが指数関数的に加速しているので(指数関数って言ってみたかった)どんどん適所は変わっています。

ですが、一度自分の適所を探すことを諦めずにいろいろ試していれば、時代が変化していってもコア部分がブレなくなるので「適所の移動や配置換え」みたいなものはやるやすくなりますし、もしちょっとズレていたとしても軌道修正しやすいと思いますですます。

また、時代だけでは無くスキルアップにより適所が複数存在するってこともあります。1個だけ探すのって大変やん、最強の適所はどこだ!って100点を探さなくても、、、みたいな。

適所を追い求めていった結果、サービスが常に変化していった

と、なんでいきなり地球の話しし出したのかって話なんですが、先日上げたこちらの記事

こちらでは商品づくりを永遠にしているよ。って話をしたのですが、これがかなり地球資源論が元になっているんですよね。

商品の適所を探しているので、変化させていく。

僕自身も経験が増えたり変化してくので、適所が変わる。

時代や市場・業界も変わるから適所が変わる。

って感じです。

記事を読んでいただけると理解しやすいと思うのですが、やればやるほど適所が変わっていくと感じる。しばらくは良かったけれど、違和感を感じる。

この違和感が適所が変わってきたサインです。

「飽きた」というと嫌な感じですがw飽きたのも自分にとって少なくとも最適ではなくなっているので、適所移動の合図。みたいな感じです。

適所フェチの戯言かもしれないですが

と、ざっくり地球資源論について自分の体験も含めて書いてみました。

自分自身が考える適所は、他の人から思うと違和感があったり、違うよね?って思われるかもしれません。

でも、地球の素材としての最良を追求(betterレベルかもしれないけれど)するのは、生き方として悪くないんじゃないかなと本気で思っています。

これも最近の気付きで、また言語化が深まるかもしれませんが、

僕は、役割や配置がハマってないことがやたら気になる「適所フェチ」であり、地球資源論をクライアントにも自分自身にも実践し続けている人間なんだなって思っています。

参考になったかわからないですが、少しでもなにか心に響くものがあれば、地球になったつもりであなた自身の役割と配置の「適所」を探してみてはいかがでしょうか。

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